光のどけき春の日に

大学4年時にまともに就活をしなかった私は4月1日付けで無事無職になった。

無職になってから数日は特に何も思い悩むことなく生活していたのだが段々といやこのままじゃまずい、この生活は何かがおかしいという思いが出てきて、とりあえずTwitter上に似たような人がいないか探すことにした。真っ先にやることがそれかよという感じだが。

今となっては既卒第二新卒という言葉も理解しているが就活に縁遠かった当時はそういった用語も知らなかったため同士を探すのにも苦労した。

とりあえずわかりやすい無職というワードから、#春から無職のタグを見てみたのだがヘラヘラしてる浪人生ばかりで苛立ちが湧いてくるだけだった。

そこで一旦仲間探しはストップしていたのだがある日、バイトでもするかとタウンワークを取ってきたら以前はついていた履歴書が無くなっている。あれ昔はあったよなと思いながらこれまたTwitter検索したら同じことを呟いている人がいて、その人もまた大学を卒業して無職になった人のようだったのでその人と、フォロワーたちをまとめてフォローした。それがこの既卒アカウントの始まりである。

こういったネットの交流はしばらくしてなかったのでそこそこ緊張した。誰しも最初はバーっとフォローするものなんだろうけどそこで誰もフォロー返してくれなかったらどうしようとか考えてしまう。

既卒の人達は優しくほぼ全員がフォローを返してくれた。

ツイートを読んでいるとどうも春からアカウントを作った人達より学生時代からNNT(無い内定)としてアカウントを持っていた人達の方が多かったようだがあまり壁を感じることもなかった。

 

その頃のTLの空気感はさながら、始業式の日の教室のようだった。

既に友達同士の人もいれば、私と同じような新顔もいる。

色々な人たちがいたが、みんな既卒というクラスの一員だった。

早々に内定を獲得し卒業していく人もいれば、発狂して退学していく者もいた。

本当に1つの小さな社会が出来ていて、無職になりたての私は社会に参画できている喜びみたいなものを感じすらした。

春の、あたたかくもやわらかい光。

どこか始まりを予感させるこの時期特有の陽気。

既卒のみんなからも前向きに明るく進んでいこうという意志が溢れてて、とても素敵だなと感じていた。

少し遅れているかもしれないけど、頑張ってやっていこうぜ、と。

未来を信じる希望があった。

だけれども、時折顔を覗かせる後ろめたさや、抱える傷への忸怩たる思いといったものもあって、それにも私は深く共感できた。

 

あれから季節は巡りまた春が来たけれど、今年はどこか肌寒い。

料峭の日々を過ごしながら、私はそんなことを思い返していた。

日射しの中で

ブログをはてなで書いている人を度々見かけるので自分でも作ってみたが編集画面が見づらい。

昔やっていたFC2やLivedoorの方がよっぽど見やすかったが何故これがそこそこメジャーなのだろう。

まあ機能面などで優れた部分が追々見えてくるかもしれない。

引きこもりで無趣味の無職に書くネタが出てくるかはわからないがたまに書きたい気分になるし置いておいて損はないだろう。

 

……短いな。そう、1つの話題であまり長い文章を書けないというのは私の悩みでもある。かといってTwitterもそれはそれで苦手であり。やはりブログの方が落ち着いていて好き。投稿してからでも修正できるしね。

ツイートした直後にツイートを消してしまうことがそこそこあるのだけれど、それは内容に対してでなく表現に対する反省から来るものです。ここは漢字じゃなくひらがなの方がいいんじゃないか、「は」ではなく「が」の方がいいのでは、ここで問いかけるような語尾は相応しくない、等々の思いがツイートした瞬間に脳内に迸り私の正気を奪っていく。そうして耐えられなくなってツイートを消す。本当はツイートをしないのが一番平和なんだ。

言葉では不十分で、でも言葉しか伝える術を持たなくて。難しいですね。

頭の中の思い・考えを、出来るだけ適切な言葉で掬い取ろうとしても。汲み取れない部分、溢れてしまう部分は出てきて、そういうところにこそ大切なものがあるんじゃないかと思ってしまって。

そんな答えのないパズルにゆっくりと向き合う場所に……なればいい。